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家族3人で楽しむ南国生活日記♬

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日本旅行2017年4月京都旅行④🚌 金戒光明寺

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今年の京都旅行で1番静かで京都らしさを感じた場所。
京都らしさって何ですか?っと質問されると困りますけどね。本当にゆっくりと見学出来ました。桜が満開、綺麗でしたよ🌸

僕は写真を楽しみ、妻は景色を楽しみ、娘はお寺内を走り回っていました。15時半過ぎ、地元の方でしょうか?お花見を楽しんでいる方の姿がちらほら。

歴史を少し勉強してから訪れると感じ取り方も違うのでしょうね。とはいえ中々勉強も出来ませんしね。観光ガイドさんに案内して頂くと満足度も高いのでしょうね。

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金戒光明寺

承安5年(1175年)春、法然比叡山の黒谷を下った。岡を歩くと、大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。すると、その石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い、西の空には、金色の光が放たれた。そこで、法然は、ここに草庵を結んだ。これがこの寺の始まりであるとされる。ここは、「白川の禅房」と呼ばれ、もとは比叡山黒谷の所領で、叡空入滅の時、黒谷の本房と白川の本房を法然に与えた。そのため、比叡山の黒谷を元黒谷、岡崎の地を新黒谷と呼んだ。法然は、後に信空に黒谷の本房と白川の本房を与え、信空はこの地に住んだ。その後、岡崎の地を新黒谷とは呼ばず、黒谷(くろだに)と呼ぶようになる。なお、比叡山では、黒谷を現在も黒谷と呼ぶ。第5世恵顗の時に堂を整え、法然の見た縁起にちなみ紫雲山光明寺と号した。第8世運空は、後光厳天皇に戒を授けて、金戒の二字を賜り、金戒光明寺と呼ぶようになった。法然が最初に浄土宗を布教を行った地であることに因み、後小松天皇から「浄土真宗[1]最初門」の勅額を賜った。江戸時代初期に城郭構造に改修された。文久2年(1862年)には、京都守護職の本陣となった。第二次大戦後、「黒谷浄土宗」として一派独立するが、現在は浄土宗に合流し七大本山の一翼を担う。御詠歌「池の水ひとの心に似たりけり 濁り澄むこと定めなければ」

金戒光明寺 - Wikipedia

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桜並みの下で1枚

僕の独特で変な感覚、変わり者?!全て同じではありませんが、妻も似たような感覚を持っております。と言う事は変わり者でしょうか?()感覚の違う同士が無理をして人生を歩むと大変でしょうね。っと妻と話す事があります。こうして時間を気にせずゆっくりと京都の街を歩くのが好きな妻で良かったです。旅行が好きで良かったな~っと思う今日このごろ。年を取っても夫婦で歩きたいですね。

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今年で3度目の京都。やっと好きになったようです。完全に僕達の趣味に付き合わせております。でも美味いご飯をたくさん食べれるので良いと思うのですが...っと思うのは僕だけでしょうか?

2018年は大阪にも3泊ほど立ち寄る予定です。2度目のユニバーサルスタジオ、楽しみですね。大阪の街もたっぷりと楽しむ予定です。

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迫力を感じるのです。
東本願寺の堂々たる姿に負けないぐらいの迫力感があります。

春風が吹くと桜が舞うのですが、その瞬間がとても綺麗でした。
じっと見つめてしまいました。

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こんな感じで1枚

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ゆったりとした時間を過ごす事が出来ました
うん、とても良かった🌸

『2017年4月10日』

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